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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)3475号 判決 1962年7月11日

原告 鈴木弘

被告 軽部源一郎

右訴訟代理人弁護士 鈴木一郎

右訴訟代理人弁護士 高野三次郎

主文

被告は原告に対して金一四〇、〇〇〇円を支払うべし。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は仮りに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

第一次的請求について判断する。

原告主張の請求原因中、本件家屋は原告の所有に係るものであり、地代家賃統制令の適用をうけないものであること、被告は原告から本件家屋を昭和二〇年頃期間の定めなく賃料一ヵ月三一円毎月末日持参して支払う約で借り受け、その後賃料は数回値上げされたが、原告は昭和三六年三月一日に、被告に対して従前の賃料一ヵ月金五、〇〇〇円を同月以降一二、〇〇〇円に増額する旨を申し入れたことは当事者間に争いがない。

被告本人尋問の結果によれば、本件賃貸借契約における約定賃料は、昭和二一年九月を第一回として七回に亘り値上げされ、最後の約定賃料金五、〇〇〇円は、昭和三三年一〇月に定められたものであることを認めることができ、これに反する証拠はない。ところで、右昭和三三年一〇月と原告が賃料増額請求をした昭和三六年三月一日との間には二年五月の期間の経過があり、その間、一般物価指数は上昇しており、今次大戦後引き続く住宅不足は、依然解消するに至らないため、地価の暴騰、建築資料や大工左官等の手間賃の値上がりによる建築費ならびに住居修繕費の著しい上昇に影響されて、地代、家賃が著騰したことは顕著な事実である。そこで、本件家屋の相当賃料を考える。鑑定人郡富次郎の鑑定の結果によれば、昭和三六年三月当時の相当賃料は、一ヵ月金一〇、〇〇〇円であると認められ、右賃料を相当でないとする証拠はない。してみると、本件家屋の賃料は、原告のなした賃料増額請求権の行使により、昭和三六年三月一日以降一ヵ月金一〇、〇〇〇円に確定したものというべきである。被告は、右賃料増額請求に対して承諾したことがないから賃料は増額されていないと抗弁するけれども、賃料増額請求権は形成権であるから、その効果は、被告に意思表示が到達したことによつて発生するものであつて、被告の承諾を要しないことは論を俟たないところである。したがつて、右抗弁は採用しない。

被告は、さらに、本件約定賃料金五、〇〇〇円を一挙に金一二、〇〇〇円とする旨の増額請求は信義則違反の無効の行為であると抗弁するけれども、賃料増額請求権の行使により、賃料増額を正当づけるに足りる経済事情の変動があるならば、客観的に定まつている相当賃料額(本件においては前記認定の金一〇、〇〇〇円)に賃料が確定する効果が発生するのであつて、表示された主観的な賃料額(本件においては金一二、〇〇〇円)の如何は右効果に何らの影響をおよぼすものでないと解すべきであるから被告の右抗弁も採用できない。

進んで、被告に賃料債務につき債務不履行があつたか、また原告は右債務不履行にもとづく解除権を有するかについて考える。

被告は、原告のなした賃料増額請求を争い、昭和三六年三月中同月分の約定賃料金五、〇〇〇円を提供したが、受領を拒絶されたので、同年四月三日右約定賃料を供託したこと、原告は同月八日到達の内容証明郵便をもつて、被告に対し三月分の賃料として金一二、〇〇〇円を同月一〇日までに支払うべく、もし、期限に支払をしないときは同日の経過とともに賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなしたが、被告はこれが支払いをなさず、同月二五日、同年五月二五日に、各四月分、五月分の約定賃料金五、〇〇〇円を弁済供託したことは当事者間に争がない。しかして、本件家屋の賃料は、原告のなした賃料増額請求権の行使により、昭和三六年三月一日以降一ヵ月金一〇、〇〇〇円に確定したことは前記認定のとおりであるから、被告のなした弁済の提供は債務の本旨に従つたものとはいえず、被告は債務不履行の責任を免れることはできない。被告は、賃料額について争いがある本件においては、その額が公権的判断によつて確定されるまでは、約定賃料の提供によつて債務不履行の責を免れ得るものであると抗弁するけれども、賃料増額請求権が行使され、賃料について争いがある場合、その相当賃料額は結局は裁判に俟たねばならないが、この場合においても、客観的に定つている相当賃料額は、賃料増額請求行使の時に効力を生じているものと解され、かつ、金銭債務の債務不履行については、債務者の過失を要するものではないから、被告は、原告の賃料増額請求権の意思表示が被告に到達した前記三月一日以降は、増額賃料一ヵ月金一〇、〇〇〇円につき支払い義務があるのであつて、右賃料弁済期たる同月末日に右金員全額の提供をしない以上、債務不履行の責任を免れることはできないものといわねばならない。したがつて被告の右抗弁は採用しない。

原告のなした賃料増額請求において、原告の表示した増額賃料が金一二、〇〇〇円であることは前示認定のとおりである。被告はこの点をとらえて、右催告は過大催告であるから、契約解除の前提たる催告としての効力はないと抗弁するけれども、過大家賃の催告が無効と解されるのは、催告賃料額が相当賃料額を著しく超過しているところから、たとえ賃借人が相当賃料額を提供しても賃貸人は到底受領する意思がないと認められる場合のみであり、催告賃料額と相当賃料額とに多少の差を生じたからといつて常に全額につき当然に無効と解すべきでなく賃料増額請求権が賃貸人の主観的算定にもとづき一方的に行使されるものである以上、多少の差異の発生はむしろ法の予想するところというべく、賃貸人において相当賃料額ならば、必ずしも催告賃料額でなくても受領するであろうと考えられる場合において有効な催告と解するのを相当とするところ、本件催告賃料額は相当賃料額を僅か二割超過するのみであるから、著しい超過とはいいがたく、また、原告は本件訴訟において前掲鑑定の結果を援用していることその他弁論の全趣旨によれば、被告において、前記三月末日の弁済期に金一〇、〇〇〇円の賃料を提供したとするならば、原告はこれを受領したと推認しうべく、これに反する証拠はないから、原告のなした催告は、相当賃料額金一〇、〇〇〇円の範囲において契約解除の前提たる催告として有効のものというべきである。したがつて、被告の右抗弁も採用できない。以上の認定により、被告は、昭和三六年三月末日に、同月分の賃料金一〇、〇〇〇円の債務を履行せず、原告は、同年四月八日到達の書面をもつて有効な催告をなしたことは明らかである。しかしながら、これによつて、原告が契約解除権を取得したかどうかは即断しがたい。けだし、家屋の賃貸借契約において、賃料増額請求権が行使され、相当賃料額について争いがあり、賃借人が相当賃料額に充たない約定賃料額を提供または供託している場合、賃貸人が解除権を取得するには、賃借人が相当賃料を確認しえなかつたことに過失があり、約定賃料の値上げの経過、賃貸家屋の修繕の必要の有無、ならびにそれに要した費用の負担が何人に属したか等諸般の実態を考え合わせ賃貸人の増額請求権の行使に無理がなく、これに解除権を与えることが信義則に照らして相当である場合でなければならないからである。右の観点から本件について考えるに、被告本人尋問の結果ならびに前掲鑑定の結果を綜合すると次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

本件家屋の約定賃料は、昭和二一年九月に、当初の金三一円から金一九三円七五銭に、昭和二四年六月に右の一割増に、昭和二五年七月に金一、一〇六円七〇銭に、昭和二七年一二月に金二、三四〇円に、昭和二九年五月に金二、七〇〇円に、昭和三〇年八月に金三、一七〇円に、昭和三三年一〇月に金五、〇〇〇円に値上げされ、右最後の三回は一年五月ないし三年二月の間隔を置いているが、値上率の最も高いときが約六割増である。被告は、七三才になる指圧師で、法律知識に暗く、最後の金五、〇〇〇円への増額の際に、右賃料は当時としては相当高いものであると考えたが、現在においても右額は近隣の家賃と比較して相当な額であると考えている。また、本件家屋は、中程度の資材によるもので、すでに新築後三〇余年を経過し、速やかに大修理を必要とする程度に達しており、従来被告の負担において、(イ)二階トタン屋根八坪の葺替(二回)、(ロ)両樋全部の取替修理、(ハ)湯殿の土台取替修理、(ニ)玄関、湯殿、便所の壁の塗替、(ホ)玄関格子戸の取替、(ヘ)座敷全部の畳替をなしていたことから、右金五、〇〇〇円の値上げから値か二年五月しか経過しないのに、右の二倍にあたる額、金一〇、〇〇〇円をも超える増額請求がなされたことを甚しく不当なものと考えていた。

右のように認めることができる。

右認定事実ならびに前示争なき事実にもとづけば、被告が原告の賃料増額請求に際し、相当賃料額を確知しえなかつたことは無理もないことであつたというべきである。一方、原告としては、仮に原告のなした増額請求が全面的に認めうる場合であるとしても、僅か一回の債務不履行をもつて直ちに契約解除の意思表示をなすがごときは、長年信頼関係に結ばれていた賃貸借関係における賃貸人としては、信義則に照らし無理のない行為であるとはいえない。したがつて、原告は、被告の前記債務不履行によつては末だ解除権を取得したものとはいいがたく、本件賃貸借契約解除の意思表示は効力がない。よつて、原告の本件家屋の明渡しならびに損害金の支払いを求める第一次的請求はすべて理由がない。

第二次的請求について判断する。

原告の増額請求権の行使によつて、本件家屋の賃料が昭和三六年三月以降一ヵ月金一〇、〇〇〇円に増額されたことは前記認定のとおりである。したがつて、被告は昭和三六年三月一日以降右賃料の支払い義務あること明白である。

被告は同月分の賃料として約定賃料五、〇〇〇円を提供し、同年四月三日に右約定賃料を、同月二五日および同年五月二五日それぞれ四月分五月分の賃料として金五、〇〇〇円を弁済供託していることは前記認定のとおりであるけれども、右各供託は、債務の本旨に従つたものでないことはすでに認定したとおりであるから、これによつて賃料債務の一部を免れることはできない。

してみると、昭和三六年三月以降同三七年四月末日までの一ヵ月金一〇、〇〇〇円の割合による賃料の支払いを求める請求を認容し、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川要)

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